日本庭園、レトロな建物、古い町並みなどを巡っています。
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城郭探訪:大阪城

大阪探訪第7弾。
大阪2日目。
『大阪城』に行きました。
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別称、「金城」あるいは「錦城」。
地元大阪では、
「太閤さんのお城」と呼ばれているようです。
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この地にお城を最初の築いたのは、
豊臣秀吉。
天正11年(1583)から4期に分けて工事が行われ、
慶長3~4年(1598-99)頃に、
のべ15~16年の歳月をかけ
完成されたとされています。
f0049074_21292035.jpg

秀吉が築いた大阪城は、
大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失。
その後、
2代将軍・徳川秀忠が大阪城を再建します。
寛永6年(1629)のことです。
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徳川幕府は、
豊臣氏の影響力を払拭するように
もとの大坂城に数メートルも盛土し、
縄張も改めて再建したと言われています。
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江戸時代には、
度重なる火災で損傷と修復を繰り返し、
寛文5年(1665)には落雷によって天守を焼失。
それ以後、天守は再建されませんでした。
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明治新政府は城内を陸軍用地に転用。
昭和3年(1928)、
天守再建を含む大阪城公園整備事業が
昭和天皇の即位記念事業としてスタート。
昭和6年(1931)、
復興天守、第4師団司令部庁舎(大阪市立博物館)が竣工。
大阪城公園が開園しました。
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現在の城は、
鉄骨鉄筋コンクリート造です。
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昭和34年(1959)の学術調査によって、
現存する櫓や石垣などは
徳川期のものであることが判明しています。
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城跡は、
国の特別史跡に指定されています。
f0049074_21313248.jpg

撮影日:2012.03.23
by j-garden-hirasato | 2012-05-16 21:31 | 歴史的建物 | Comments(20)

鳥取探訪:鳥取城跡

鳥取探訪第2弾。
鳥取は、
池田家の城下町として発達した町です。
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町を見下ろすように久松山があり、
その地形を利用した山城として、
鳥取城は築かれています。
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お城が最初に築城されたのは、
戦国時代の中頃の天文年間。
因幡の守護であった山名誠通とされています。
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豊臣秀吉の中国征伐では、
兵糧攻めにあい、
城主・吉川経家の自決と引き換えに開城した、
という、悲しい歴史があります。
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元和3年(1617)、
池田光政が32万5千石で入城、
城下町の整備が行われました。
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その後、
所領交換により池田光仲が入封、
そのまま12代続いて明治維新を迎えます。
f0049074_6102120.jpg

もともとは、
久松山の山頂に天守がありましたが、
元禄5年(1692)、
落雷による火災で焼失。
その後、天守は再建されませんでした。
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明治6年(1873)の廃城令により、
陸軍省の所管となり、
建物はすべて払い下げられてしまいました。
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現在は、石垣が残るのみ。
国の史跡であり、
日本100名城のも選定されています。
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平成18年(2006)から30年の歳月をかけ、
幕末期の姿へ復元する計画のようです。
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探訪日:2011.08.31
by j-garden-hirasato | 2011-09-12 06:11 | 文化財 | Comments(22)

史跡探訪:荒砥城跡

戸倉上山田探訪第8弾。
前回まで紹介した「ちょっと気になる」エリアに隣接して、
『荒砥城跡』(あらとじょうし)があります。
今回は、至ってノーマルな内容。
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城主 浅井長政(時任三郎)
荒砥城にて死す!
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大河ドラマ「江」のロケ地だったのですね。
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荒砥城は、
戦国時代、
甲斐の武田氏と敵対関係にあった村上氏の
支族だった山田氏によって築かれた山城です。
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村上氏の本城・葛尾城の支城としての役割を果たしていました。
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川中島の合戦の頃は、
武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられた要所。
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天正10年(1582)に武田氏が滅亡、
上杉景勝が川中島を統治するようになると、
屋代秀正が海津城副将になり、
荒砥城は、
清野、寺尾、西条、大室、保科、綱島、綿内
の各氏による城番管理が行われました。
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翌天正11年(1583)、
屋代秀正は徳川家康と通じ荒砥城に籠城。
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後に上杉氏に攻められて落城。
以降、廃城となりました。
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平成7年(1995)、
城山史跡公園として整備され、
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頂上部に本郭、
その下段に二の郭、櫓、兵舎が復元されています。
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城としては、
絶好のロケーションでした。
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探訪日:2010.04.04
by j-garden-hirasato | 2011-05-05 04:46 | 文化財 | Comments(22)

城郭探訪:松本城(その2)

松本探訪第11弾。
『松本城』の2回目。
天守に入ります。
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天守の高さは29.4m。
五層六階の建物です。
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薄暗い通路を進みます。
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天井は低く、
階段もとても急です。
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天守の最上階。
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松本盆地、北アルプスの山並みが望めます。
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絶景かな、絶景かな。
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天守四階は「御座の間」。
f0049074_5201868.jpg

お殿様の部屋です。
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寒いこの時期、
城内には暖房器具もなく、
室温は外と同じ。
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でも、
普段見ることができない景色が堪能できました。
f0049074_521825.jpg

全国のお城、
探訪したくなりました。
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撮影日:2011.02.16
by j-garden-hirasato | 2011-03-31 05:21 | 文化財 | Comments(18)

城郭探訪:松本城

松本探訪第10弾。
以前にも紹介した『松本城』ですが、
最近、お城の本を読んで探訪心がくすぐられ、
訪れました。
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「烏城」とも呼ばれる真っ黒な城。
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戦国時代、
信濃守護であった小笠原氏が、
「深志城」を築城したのが始まりとされています。
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その後、
武田氏がこの城を拠点に松本平を支配しますが、
武田氏滅亡後の天正10年(1582)、
徳川家康の配下となった小笠原貞慶が
「松本城」と名前を改めます。
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天正18年(1590)の秀吉の小田原攻めの後、
小笠原氏に代わり石川数正が入城。
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数正とその子・康長が、
天守をはじめ、
城郭、城下町の整備を行いました。
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その後、
小笠原秀政が返り咲き、
大阪の陣の後は、
松平氏、堀田氏、水野氏が松本藩の居城としました。
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水野氏以降は、
戸田松平氏が代々居城とし、
明治をむかえます。
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各地でお城が破壊されるなか、
この松本城でも天守が競売にかけられますが、
地元有力者の尽力で買いもどされ、
今に姿を残しています。
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建築当初の姿を残すお城としては、
犬山城、丸岡城に次ぐ、
三番目に古いものです。
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昭和5年(1930)に国宝に指定。
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建築構造的には「連結複合式」と呼ばれ、
本天守に櫓が付帯したような構造になっています。
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撮影日:2011.02.16
by j-garden-hirasato | 2011-03-29 05:16 | 文化財 | Comments(20)

城郭探訪:上田城址(その2)

上田探訪第2弾。
上田城址は、
現在、上田城跡公園として、
広く市民に親しまれています。
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多くの城がそうであったように、
明治以降、建物は破壊され、
歴史を今に伝えるのは、
再建された櫓と門、そして堀くらいです。
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その堀跡も、
かつて、
電車の線路敷きとして使用されていました。
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昭和3年5月から昭和47年2月まで、
上田温電北東線が通っていました。
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公園へのアプローチの橋は、
実はトンネルです。
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上田城本丸跡には、
真田神社があります。
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真田・千石・松平の
歴代上田藩主が祀られています。
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徳川の大軍を2回に渡り撃退し、
日本一の知将と謳われた真田幸村の神霊は、
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今も智恵の神様として崇められています。
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最後に、
真田家の家紋「六文銭」の由来。
(正しくは、「六連銭」のようです。)
「六文銭は、
 死者が三途の川を渡る時、
 渡し守に払う渡り賃だと言われる。
 つまり、
 いつでも死ぬ覚悟がある、
 ということが示されている。」
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上田探訪、続きます。

探訪日:2010.04.23
by j-garden-hirasato | 2010-05-18 05:02 | 文化財 | Comments(16)

城郭探訪:上田城址

少し前のことですが、
上田の町を歩いてきました。
しばらくは、そのレポートです。
まず、上田城址から。
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訪れたのは、
ソメイヨシノがほぼ散ってしまった頃。
満開だったら、
さぞ、きれいだったことでしょう。
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上田城は、
天正11年(1583)、真田昌幸が築いたお城。
当時は10万石の小大名でした。
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真田氏が天下にその名を知られるようになったのは、
2度にわたり徳川の大軍を撃退したからです。
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最初の合戦は、天正13年(1585)。
徳川勢は7000人余、
迎え撃つ真田氏は2000人弱。
この劣勢を跳ね返しました。
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2度目の合戦は、慶長5年(1600)。
関ヶ原に向かう途中の徳川秀忠の軍勢3万8千人、
それに対し、真田家は2500人ほど。
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この合戦でも、徳川家は攻めあぐね、
この地で足止めを食らい、
徳川秀忠は関ヶ原の合戦に間に合わなかった、
という失態を演じました。
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そのときの武将が、
真田昌幸とその子・幸村。
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徳川の世になり、
真田家の代わって上田城に入ったのが仙石氏。
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この仙石氏が上田城を再建しました。
現在修復されている3棟の櫓は、
このときのもの。
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江戸時代中期からは松平氏に替わり、
明治を迎えます。
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天守閣もなく、
立派な石垣に囲まれているわけでもありませんが、
徳川の大群を2度に渡って破るという
輝かしい戦歴を誇る上田城です。
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探訪日:2010.04.23
by j-garden-hirasato | 2010-05-15 06:18 | 文化財 | Comments(22)

城郭探訪:小諸城址『懐古園』

小諸探訪第2弾。
小諸は、小諸城の城下町として栄えた町。
その小諸の中心にあるのが
小諸城址『懐古園』です。
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平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した
小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が築いた館が起源です。
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その後、武田信玄の侵攻により武田家の支配下となり、
本格的な城郭として整備されました。
武田家の重臣・山本勘助、馬場信房が縄張りをしたとされています。
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豊臣秀吉の天下統一後は、
小田原攻めで軍功を上げた仙石秀久が入城し、
近代城郭として大改修を行い、
城下町の整備も行いました。
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徳川による天下泰平の世になると、
秀久は上田城に移り、
この小諸城は徳川家光の弟・忠長の領有となり、
その後は、徳川普代が代々支配しました。
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元禄15年(1702)、
越後国与板藩より牧野康重が入城すると、
版籍奉還までの約170年間、
牧野氏の居城となりました。
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明治以降、城郭は払い下げられ、
小諸藩の旧士族により本丸跡に神社が祀られます。
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このとき、
「懐古園」と名付けられました。
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その後、大正15年(1926)、
造園の大家・本多静六の設計により公園として整備され、
現在に至ります。
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園内には動物園と藤村記念館、
さらに、隣接して寅さん記念館などの施設が設置され、
市民の憩いの場、観光の拠点となっています。
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懐古園という名称から、
庭園をイメージしてしまいますが、
関係ありません。
f0049074_6273741.jpg

撮影日:2010.02.17
by j-garden-hirasato | 2010-03-10 06:27 | 町並み | Comments(26)

城郭探訪:宇都宮城址

宇都宮市街地のほぼ中央に
宇都宮城址があります。
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現在、本丸の一部が復元され、
公園として市民に親しまれています。
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築城は平安時代中期から後期とされ、
藤原宗円を祖とする宇都宮氏の居城として
代々受け継がれていました。
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豊臣秀吉の天下統一の過程で、
小田原征伐に続く宇都宮仕置ではその舞台となり、
奥州の諸大名が秀吉に謁見するため、
この宇都宮城に参城しました。
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宇都宮氏と秀吉の仲は、
羽柴姓を授かるなど良好でしたが、
慶長2年(1597)に突如改易されてしまいます。
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以降、
蒲生秀行、奥平家昌、本多正純らが入城し、
宇都宮を城下町として整備しました。
その後は、譜代大名がこまめに入れ替わりました。
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明治元年(1868)の戊辰戦争では戦場となり、
宇都宮城の建物は、宇都宮の町並みとともに焼失、
さらに、
明治23年(1890)には民間に払い下げられ、
城としての形跡は益々失われてしまいました。
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復元されたのは、
本丸土塁の一部、土塁上に富士見櫓、清明台櫓、
そして土塀です。
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この土塁、
何と鉄筋コンクリート造。
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土塁の内部に、
展示コーナーもあります。
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もともと天守はなく、
清明台櫓が天守の代わりをしていました。
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近代技術によって蘇った城郭、
何とも不思議な雰囲気の城郭でした。
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探訪日:2009.11.26
by j-garden-hirasato | 2010-01-16 06:44 | 文化財 | Comments(18)

城郭探訪:高田城

先の土曜日、
娘の中学校ソフト部が上越大会に出場しました。
場所は新潟県上越市高田。
決勝戦は、長野県勢の対決となりました。
結果は、残念ながら準優勝!
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高田は、
江戸時代の初め、
徳川家康の六男・松平忠輝が高田城を築いて以来、
高田藩の城下町と栄えた町です。
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松平忠輝の居城ということで、
天下普請で造られました。
工事の総監督は、
忠輝の舅・伊達政宗。
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現在の高田城址は、
高田公園として市民に親しまれ、
平成5年(1993)に
三階櫓が再建されました。
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この高田城には天守がなく、
三階櫓が代用していたようです。
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こじんまりとした櫓ですが、
建築の各部材を身近かで見ることができ、
それなりに迫力があります。
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平城の高田城、
櫓に登るだけで景色が開け、
町中が一望できます。
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あえて、
天守を築かなかったのも
分かるような気がします。
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お堀は蓮で埋め尽くされ、
春は桜の名所としても有名です。
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今度は、
花見で訪れたいですね。
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探訪日:2009.10.24
by j-garden-hirasato | 2009-10-27 06:20 | 歴史的建物 | Comments(14)