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カテゴリ:庭園
大阪探訪第9弾。
豊國神社本殿横に作庭された 『秀石庭』です。 ![]() 作庭者は、 昭和を代表する作庭家・重森三玲。 ![]() 昭和47年(1972)の作庭です。 ![]() 大阪城はもともと石山本願寺のあった場所。 この石山をテーマとして 徳島・阿波産の緑泥片岩の巨石が組まれました。 ![]() 巨石が組まれた石山は、 同時に 仙人が住むとされる蓬莱山も表しています。 ![]() また、 神社において、 巨石は磐座・磐境を表すものでもあり、 石を神格化することで 神社庭園の意味を持たせています。 ![]() 配石は、 吉祥である七五三の配置。 ![]() 豊臣秀吉が愛用していた「馬印瓢箪」、 地割の模様に取り入れています。 ![]() 鑑賞用の石舞台の地紋にも 瓢箪の模様が画かれています。 ![]() いかにも三玲らしい 大胆かつユニークなデザインです。 ![]() 撮影日:2012.03.23 大阪探訪第4弾。
四天王寺の次に訪れたのは、 天王寺公園内にある『慶沢園』。 ![]() 住友家・茶臼山本邸庭園として作庭された 池泉回遊式庭園です。 ![]() 設計は木津聿斎、 作庭は小川治兵衛。 ![]() 明治41年(1908)に着工、 大正7年(1918)に完成。 ![]() 全国から銘石・銘木が集められ、 完成までに10年の歳月が費やされました。 ![]() 大正10年(1921)、 隣接する茶臼山とともに 住友家から大阪市に寄贈されました。 ![]() 小川治兵衛らしい意匠が あちこちに見られました。 ![]() 定番の石臼を使った飛石も健在。 ![]() 意匠が特徴的な石橋。 ![]() これも銘石の一つでしょうか。 ![]() 人が笑った横顔のようで、 何ともユニーク。 ![]() ちょっとしたところに見られる意匠が、 味わい深いです。 ![]() 撮影日:2012.03.22 大阪探訪第3弾。
四天王寺には、 『極楽浄土の庭』と『補陀落の庭』という 二つの日本庭園が整備されています。 ![]() まず、 『極楽浄土の庭』から。 ![]() もともとは江戸初頭に作庭されたものですが、 明治初期の火災で焼失、 その後、復興されました。 このときに 中国の僧侶・善導が説いた 「二河白道」の喩話に基づいて作庭されました。 ![]() 「水の河」、「火の河」という2つの流れと 「瑠璃光の池」、「極楽の池」という2つの池を配する 池泉廻遊式庭園です。 ![]() 白砂の園路は、 極楽浄土に通じる「白道」を表しています。 ![]() 「極楽の池」に面して建つ「八角亭」は、 明治36年(1903)に開催された 第五回内国勧業博覧会に出品された 現存する唯一のパビリオンで、 後年、この地に移建されたものです。 ![]() 続いて、 『補陀落の庭』。 ![]() 江戸初期に建立され、 幾多の災害を免れた「湯屋方丈」(国の重要文化財)の前庭です。 ![]() この湯屋方丈から眺める座観式庭園。 ![]() 「補陀落」とは、 観音菩薩の住まいのことです。 ![]() 撮影日:2012.03.22 先々週、娘の合格祝いで、
京都と大阪に家族旅行に行ってきました。 まず、京都編から。 最初に訪れたのは、『平等院』です。 ![]() 宇治にある藤原氏ゆかりの寺院。 かつては、天台宗と浄土宗を兼ねていたようですが、 現在は、特定の宗派に属さない仏教寺院となっています。 ![]() 日本の貨幣にはなくてはならない存在。 10円硬貨には平等院鳳凰堂が、 一万円紙幣には、 鳳凰堂の屋根に設置された鳳凰がデザインされています。 ![]() 9世紀末頃、 光源氏のモデルとも言われる源融が営んだ別荘だったものを 長徳4年(998)、摂政・藤原道長が別荘「宇治殿」としたもので、 永承7年(1052)、その子関白・藤原頼通が宇治殿を寺院に改め、 これが平等院の始まりです。 ![]() 平安時代後期、 日本では「末法思想」が広く信じられており、 平等院が創建された永承7年(1052年)は、 まさに「末法」の元年に当たります。 ![]() 当時の貴族は、極楽往生を願い、 西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を 盛んに造営しました。 しかし、現存するのはこの鳳凰堂のみ。 ![]() 鳳凰堂は、天喜元年(1053)の建立。 阿字池の中島に東向きに建っています。 本尊阿弥陀如来像を安置する中堂、 左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が 「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されています。 ![]() 「鳳凰堂」の呼称は江戸時代からで、 当初は「阿弥陀堂」、「御堂」と呼ばれていました。 ![]() 庭園は、阿字池を中心とする浄土式庭園で、 国の名勝に指定されています。 ![]() 平成2年(1990年)からの発掘調査により 平安時代築造の州浜が確認され、 創建当初の姿に復元されました。 鳳凰堂への入堂も 池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式に戻されました。 ![]() 撮影日:2012.03.21
神戸探訪第12弾。
神戸の大取りは『相楽園』です。 ![]() 今回の神戸行きは、 レトロな建物とこの庭園の探訪が目的でした。 ![]() 相楽園は、 元神戸市長・小寺謙吉氏の先代、 小寺泰次郎の本邸に造営された庭園です。 ![]() 明治18年(1885)から築造に着手され、 完成したのは明治末期。 ![]() 昭和16年(1941)に神戸市の所有となりました。 ![]() 中国の古書『易経』の一節にある 「和悦相楽(わしてよろこびあいたのしむ)」から一節を取って、 「相楽園」と名付けられました。 ![]() 敷地約20,000m2を有する 池泉廻遊式の大庭園。 国の登録記念物(名勝)に登録されたのは、 平成18年(2006)です。 ![]() 造り込まれた変化に富む庭園では、 深山幽谷の景色を楽しむことができます。 ![]() 日本庭園としは珍しい蘇鉄園や ![]() 樹齢500年と伝えられる大クスノキも鎮座しています。 ![]() 庭園の敷地内には、 先に紹介した旧小寺家厩舎、旧ハッサム邸のほかに、 保存のために移築された 重要文化財の『船屋形』もあります。 ![]() 探訪日:2011.08.30 京都探訪第10弾。
『東福寺方丈庭園』の続きです。 ![]() 西庭は『井田市松庭』。 ![]() サツキの刈込みと白砂で市松模様を描くという 斬新なデザインです。 ![]() 北庭は『小市松庭』。 ![]() 青苔と敷石により市松模様が描かれています。 これも斬新な発想です。 ![]() 同じ市松模様でも、 素材の違いで全く雰囲気が異なります。 ![]() 東庭は『北斗七星庭』。 ![]() 東司の柱石を利用して北斗七星の石組を配し、 アラカシの低い刈込みで天の川を表現しています。 ![]() 既成概念に囚われない発想には、 ただただ脱帽。 ![]() 力強い立石と 斬新な意匠が重森三玲の作風。 東福寺方丈の庭園群、 昭和を代表する名庭群であることは、 間違いありません。 ![]() 意図したものではないと思いますが、 アシカに、 ![]() 猿…。 ![]() 京都の庭園探訪、 これで終了です。 探訪日:2011.08.29 京都探訪第9弾。
今回は、 『東福寺方丈庭園』です。 ![]() 東福寺は、 臨済宗東福寺派の大本山、 京都禅宗五山の一つに列せられる大寺院です。 ![]() 嘉禎2年(1236)、 関白・九条道家が東大寺、興福寺に次ぐ寺院の創建を発願、 聖一国師を開山とし、 建長7年(1255)に完成しました。 東大寺の「東」と興福寺の「福」をとり、 東福寺と命名されました。 ![]() その後、相次ぐ火災で焼失、再興を繰り返し、 現在の方丈は明治23年(1890)、 庫裏は同43年(1910)、 本堂は昭和9年(1934)に再建されたものです。 ![]() 庭園は、 方丈の四方を取り囲むように 個性的な枯山水庭が配されています。 ![]() その中でも、 もっとも規模が大きいのが、 南庭の『八相庭』。 ![]() 白砂と豪快な石組により 大海に浮かぶ蓬莱連山を表しています。 ![]() 作庭者は重森三玲、 昭和14年(1939)の作庭です。 ![]() 学生のとき、 この庭園に対面し、 自分の中の日本庭園という概念が砕け散り、 ただただ圧倒されたことを 今でもよく覚えています。 ![]() 方丈庭園、 続きます。 ![]() 探訪日:2011.08.29 京都探訪第8弾。
今回は、『芬陀院庭園』です。 ![]() 芬陀院は、 東福寺の塔頭の一つ。 元享2年(1322)、 定山祖禅和尚を開山として、 関白・一条内経が創建しました。 以来、一条家の菩提所になっています。 ![]() 元禄4年(1691)と宝暦5年(1755)の2度の火災で堂宇は焼失、 安永7年(1778)、 桃園天皇の下賜により 御所の一棟を移築したのが現在の建物です。 ![]() 庭園は、 書院の南と東に枯山水庭が二庭あります。 ![]() 書院南庭は室町時代、 雪舟作と伝えられています。 ![]() 白砂、青苔の平庭に 鶴島、亀島が向き合って配されています。 ![]() 昭和14年(1939)、 荒廃していた庭園を重森三玲が修復したものです。 ![]() 以前は今の敷地より奥に広かったようですが、 敷地が狭くなった分、 鶴島と亀島の位置が近くなったということです。 ![]() その後、 昭和32年(1957)、 中根金作が白砂、樹木など周辺整備を行いました。 ![]() 訪れたとき、 書院で団体客への説法をやっており、 書院東の枯山水庭は観ることができませんでした。 こちらは、 重森三玲のオリジナル作品です。 ![]() 探訪日:2011.08.29
京都探訪第7弾。
今回は、 『光明院庭園』です。 ![]() 光明院は、東福寺塔頭の一つ。 明徳2年(元中8年・1391)、 金山明昶(メイチョウ)禅師により創建されました。 ![]() 明治の廃仏毀釈により一時荒廃しますが、 明治末、横幕滴泉和尚が20数年に渡り托鉢を行い、 寺院を再興しました。 ![]() 庭園は、 本堂と書院、 二つの建物に面して作庭された座観式枯山水庭です。 ![]() 作庭は昭和14年(1939)、 重森三玲の手によるものです。 ![]() 『派心庭』と名付けられています。 ![]() 平庭は白砂、青苔に立石という構成で、 緊張感がある一方、 白砂が描く美しい曲線は、 大和絵風で優美さが漂います。 ![]() さらに、 斜面の刈込みはうねるような雲紋形、 何とも不思議な模様です。 ![]() 三尊石を中心として立石は配されていますが、 この庭園では三尊石を三つ立て、 それぞれを三尊石として見立ています。 ![]() 斬新な発想による庭園構成と 力強く立てられた石組。 ![]() 重森三玲らしい作品です。 ![]() 玄関の土間の意匠も、 実に凝っています。 ![]() 探訪日:2011.08.29
京都探訪第6弾。
今回は、 『霊雲寺庭園』です。 ![]() 霊雲寺は、 東福寺の塔頭の一つ。 明徳元年(1390)、 東福寺第百八世・岐陽方秀禅師により開かれました。 ![]() 霊雲院第七世・湘雪和尚は、 肥後熊本の出身で、藩主・細川忠利と親交があり、 その子光尚も帰依し、 湘雪和尚が住職になるとき、 遺愛石が寄贈されました。 ![]() 庭園は、 寛政11年(1799)発行の「都林泉名勝図絵」にも掲載された古庭園と 現代に作庭された庭園の二つの座観式枯山水庭で構成されています。 ![]() 古庭園は書院の南庭で、 『九山八海の庭』と呼ばれています。 江戸時代に作庭され、 一時荒廃していたものを昭和43年(1968)、 重森三玲が改修しました。 ![]() 庭園の中心に須弥山(遺愛石・盆栽のようなもの)を据え、 同心円状に白砂の砂紋を描き、 九山八海を表現しています。 ![]() 書院の西側、 古庭園が連続するように『臥雲の庭』があります。 ![]() 昭和46年(1971)の重森三玲の作庭で、 北に枯滝を組み、白砂で流れを表現しています。 滝からの流れが石橋を潜り、 南庭の九山八海へと流れていきます。 ![]() 書院手前の白砂・赤砂の敷砂の色遣いと 雲形の斬新さには目を見張ります。 ![]() どちらの庭園も、 意匠の斬新さは 重森ならではの作品です。 ![]() 探訪日:2011.08.29 < 前のページ次のページ >
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