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レトロ探訪・名古屋編:揚輝荘名古屋そぞろ歩きの13回目。 『揚輝荘』第2弾。 北園を巡った後、南園へ。 工事中だったため、 庭園には立ち入りができず、 レトロな建物だけの見学となりました。 「聴松閣」。 ハーフチンバーでベンガラ色の外壁、 山荘風の外観が実に個性的です。 揚輝荘の迎賓館として建てられたものです。 昭和12年(1937)の築。 地上3階の各室は各国様式がミックスされており、 地階は全体がインド様式。 伊藤次郎左衛門祐民は、 経営者、財界人として活躍するとともに、 国際交流等の社会活動にも取組みました。 揚輝荘は単に個人の別荘にとどまらず、 皇族、政治家、実業家、文化人など各界の名士が来荘し、 豪華な迎賓館、社交場となっていました。 地階の最奥には、 小さな礼拝室がありました。 訪れた当日は、 どこかの大学とのコラボで、 学生の作品が展示されていました。 探訪日:2015.01.29
by j-garden-hirasato
| 2015-04-16 06:10
| レトロな建物
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Comments(22)
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risaya-827b at 2015-04-16 11:39
おはようございます^^
一枚目から個性のある建物が凄い☆ いろんな国の様式を取り入れた部屋など多く サスガ国際交流のなど社会活動をなされた方だなーと思わせますね^^ 理彩也にとってはレトロと言うよりは、新鮮な感じがします♪
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voyagers-x at 2015-04-16 11:51
おはようゴザイマス!!
凄く個性的というか、沢山のいろいろな雰囲気を楽しめそうですね。エスニックな感じもするし、いろいろな文化がミックスされてる感じですね。豪華なお屋敷風でもあるし。見応えがありますね。
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London Caller
at 2015-04-16 17:52
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yaguchitenga at 2015-04-16 17:54
豪華な邸宅ですね。下に引き続き驚きです
もっと驚いたのが礼拝所ですね なんで、ヒンデイの神様なんでしょ 持ち主がヒンデイ教徒だったんですかね それともインドに旅してヒンデイのフアンに なったとか、セレブな人達の感性って 面白いですね
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YuccaR at 2015-04-16 19:59
最初の写真は、グリム童話に出て来そうなお家に見えますね。
かと思うと、内部は和風あり、インドの装飾ありで、個性的ですね。 名古屋ならでは、という感じがしますがいかがでしょうか? ぜひ見てみたい建物ですね。
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ninja2005y at 2015-04-16 22:01
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saheizi-inokori at 2015-04-16 22:11
松坂屋の創立者でしたっけ。
こんな建物があったとは知りませんでした。
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雪だるま
at 2015-04-17 05:39
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庭の改修というか修繕は
随分と長い間続いています かつては広大な敷地を持ち 周辺全部が屋敷であり コマ切りに敷地を失い今日に至ってます こちらの見所は なんといっても地下階 不思議な空間とステージ そして使用目的不明の地下通路(見学できないですけどね) 雪だるまも今年 再訪しようと思っています
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N-styel at 2015-04-17 18:16
面白いです!!!外観は山小屋風!?と思いきや…!!
暖炉周りなんかは瓦が埋め込まれているのでしょうか!? すごい…インド風にはビックリ…( *´艸`) 当時はすごい社交場だったのでしょうねぇ~ 鹿鳴館のような存在なのかしら…💛 それにしても…松坂屋さんすご過ぎです…さすが名古屋‼ あっぱれですね…٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:02
risayaさん、コメントありがとうございます。
このベンガラ色は衝撃的でした。 また、建物内の様々な国の様式も、 実にユニークです。 部屋ごとに様式を変える凝りよう。 これもおもてなしの心なんでしょうね。
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:08
voyagers-xさん、コメントありがとうございます。
実に凝った建物でした。 外観のベンガラ色だけではなく、 内装も見応えがありました。 特に地下室はインド調で統一されていて、 他のフロアとは、 全く異質の空間となっていました。
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:11
London Callerさん、コメントありがとうございます。
「外は100%インド風、中は100%中国風」 そんな建物がありますか。 そこまでコントラストがはっきりしていると、 折衷とは呼べませんね。
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:29
yaguchitengaさん、コメントありがとうございます。
「インドに旅してヒンデイのフアン」 ボランティアの人に説明を受けましたが、 おおむね、そういうことのようです。 (真剣に聞いていなかったので、自信はありませんが…) 9枚目の写真のソファーの後ろの窓ガラスには、 ヒマラヤの山並みも描かれています。
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:35
YuccaRさん、コメントありがとうございます。
このベンガラの建物、 お菓子の家のようにも見えますね。 関東でもない、関西でもない、 確かに、尾張=名古屋ならではの発想かもしれません。 でも、尾張は信長や秀吉を輩出した地であり、 独創的な発想ができる地、なのかもしれません。
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:38
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:42
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:46
雪だるまさん、コメントありがとうございます。
地下通路は、ちょこっと入口を覗いただけですが、 個人の別荘で、 よくトンネルなんか掘ったものだ、 と、ただただ関心しました。 発想の豊かさと、 財力あってこそですね。
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j-garden-hirasato at 2015-04-19 06:52
Naoさん、コメントありがとうございます。
社交場としては、 これくらいインパクトのある建物でないと、 ダメだったのかもしれませんね。 今は分断されてしまっていますが、 丘の下にトンネルが掘られていて、 秘密裏に建物間を移動できたようです。 今は、トンネルの入口だけ 見ることができます。
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gipsypapa at 2015-04-20 08:35
様々な様式の室内の装飾、どんな人が施行したのだろうと思ってしまいます。昭和10年頃には、山小屋風とか、中国風とか、インド風とかそれぞれかなり真に迫ったものを造るだけのノウハウが日本にあったようですが、誰が紹介し、誰が工事をおこなったのでしょう。
また、たしか昭和15年以降は規模の大きな個人住宅の建築は禁止になったと思いますので、ギリギリのタイミングで建てられたようです。
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j-garden-hirasato at 2015-04-22 05:45
gipsypapaさん、コメントありがとうございます。
この建物は、 外観もかなりインパクトがありましたが、 建物内も実に個性的でした。 庭園と和建築の建物が工事中でした。 期間とか確認してきませんでしたが、 工事が完了後に、 ぜひぜひ、お出かけください。
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j-garden-hirasato at 2015-04-22 05:49
kikouchiさん、コメントありがとうございます。
解説のボランティアの人の説明では、 設計、施工は竹中工務店ということでした。 今でこそ、超スーパーゼネコンですが、 当時はまだ、 本業の大工仕事もされていたんですね。
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